先日、東日本大震災でTwitterが落ちなかったのは現場のエンジニアの判断だったという記事がバズってました。
2011年3月11日、なぜ「Twitter」は落ちなかったのか? 多くの人が知らない、意外な真実。 | TABI LABO
しかし、そもそも日米間をつなぐインターネット回線(海底ケーブル)がほとんど断線しており、生き残った回線に経路を変更して通信をしのいでいたことは、もっと知られても良いのではと思っています。
この事実を知ったのは、NHKの番組「ITホワイトボックス」でした。
●ITホワイトボックス「震災時 私たちはITで何ができるのか?」(2011年8月下旬の放送)
番組サイトがすでに存在していないので見た人の書き込みはこちら↓
ITホワイトボックスの東日本大震災後の話 | ロウタス・ディジタル
日米間をつなぐ5本の海底ケーブルのうち東日本側の4本が断線したため、西日本経由にネットワーク経路を変更したという放送内容でした。
極限状態の中、ネットワーク経路を再設計したISP会社の努力(現場エンジニアの努力)がしのばれます。
ただ当時の放送ではNHKらしく企業名が公表されていなかったので、ちょっとかわいそうですw
(Twitterも「つぶやきサイト」と呼んでて苦心した様子w)
今回、調べてみたところ下記の記事に行き当たりました。
改めて知っておきたい、インターネットの災害対策 – [4]インターネット“神話”の検証:ITpro
その企業はNTTコミュニケーションズのようですね。
地図を見るとわかりますが、日米間の回線は千葉と茨城から3本でておりそれらが断線、三重県志摩からの2本のうち1本が断線、残り1本のみが生き残っていたようです。
記事によるとNTTコミュニケーションズ以外の「Unity」回線も生き残っていたようです。
(ITproより引用)
他にも調べると当時の通信をtracerouteした人を見つけました。大阪まわりになったことを確認しています。
東日本大震災によって被害を受けた海底ケーブル – yuyarinの日記
戦争でも途切れないネットワークという軍事目的から開発されたインターネットです。
※3/17追記:「軍事目的から開発されたインターネット」は誤りとの指摘をみつけまし。俗説を信じてました・・・。
インターネットは核攻撃を想定して開発されたという誤った俗説 – NAVER まとめ
複数の海底ケーブルが同時に切れるような災害は想定外だったと思いますが、それでもインターネットは使えて、Twitterも使えたのだから、やはり分散型のインターネットの仕組み自体は非常に強いものだと言えそうです。
小生もGoogleマップを見ながら歩いて帰宅して、Twitterで情報収集しつつ友人に交通機関の運行状況を知らせたり、職場の同僚と連絡をとりあったりしていました。
その後のAmazonのオムツ配送にも助けられています(近所の店舗にはオムツがないのにAmazonは普通に配送してきてすごさを実感)。
日米間の回線が全滅していたら、さらに被害が大きくなっていたかもしれません。
※太平洋回線が切れても他の国を経由して米国とは通信できていたと思いますが遅延が大きかったと思われます。
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