概要
- 2006年(平成18年)10月19日:知財高裁
- 著作物の同一性保持権はどこまで主張できるか?
- X(原告):元従業員(Y1勤務)
- Y1在職中に「計装士」の講習講師を行う・講習資料も作成
- Y1(被告):冷暖房装置の設計保守管理を行う会社 (高砂熱学工業株式会社)
- Y2:社団法人・Y1に講演依頼 – Xは平成12年度資料を講習資料としてY2に提出
- Y2は平成13年度、14年度資料は、12年度資料の大部分を利用
- Y1の従業員Zが後任講師を務める
- Xは、Y1およびY2が、複製権、口述権、氏名表示権、同一性保持権を侵害したとし提訴 – 第一審は棄却により控訴
- なおアイキャッチ画像はChatGPTに計装士で生成させたものです。正しい業務風景なのだろうか。
判旨
- 控訴棄却
- 職務著作は否定し著作者はX本人とした
- 職務著作が否定された点が本誌解説には記載なかったので他で調べた
- Y1名義で公表されていないことが職務著作の要件を満たさないとのこと
- 職務著作であった場合は、著作者人格権はY1に帰属するので、この裁判は成り立たない
- その上で、Xは、上司の指示でZに講師業務の交代を引き継ぎ、資料もデータ提供した。
- この時点で、著作者自身が黙示的に許諾していた複製であり、そこに必要な範囲で改変をした。
著作者に残り続ける同一性保持権
著作権の話題を扱っていると、争点になりやすいのが「同一性保持権」。 これは著作者人格権のひとつで、「自分の著作物を勝手に改変されない権利」です。
著作権(財産権)は譲渡できますが、著作者人格権は譲渡されず、著作者自身に残ります。そのため著作物に対して「同一性保持権」を行使することで、勝手な変更を許諾しない請求ができてしまいます。しかし、どこまでが勝手な改変で、どこまでが許される範囲なのか?このグレーゾーンを巡って争われた判例です。
会社資料は誰の著作物?後任は資料を修正できない?
1. 職務著作ではない → 著作者はX
この判例の1つめのポイントは、「この資料は職務著作にはあたらない」と判断した点です。資料の著作権が発生時から会社にあれば、そもそもこの裁判は成り立ちません。この点について、この資料の著作権はX本人にあると認めました。職務著作の要件である「会社名義での公表」ではなかったためです(どうやら財団に講習資料を提供するときに「Y1(高砂熱学工業)」の社名を資料に明示しなかったようです)。通常の会社のプレゼン資料やセミナー資料だったら、社名を明示するでしょうし、職務著作となるため後任の資料改変は問題になりません。
2. 複製と改変は「黙示的に許諾」されていた
次に焦点となったのが「改変の許諾があったかどうか」。
Xは当時、上司の指示で講師の仕事を後任のZに引き継いでおり、講習資料のデータも提供していました。つまり、「この資料は複製して使っていいよ」という黙示の同意があったと裁判所は見たわけです。
さらに、Zが改変した内容についても、「必要な範囲」で、「Xの名誉や意に反しない内容」である限り、同一性保持権の侵害にはあたらないと判断されました。
ウェブディレクターの視点
ウェブ制作やシステム開発の契約書でよく見かける条文、「著作者人格権を一切行使しない」。この条文の意図は、「著作権を譲渡したにも関わらず、著作者から『勝手に変えるな』と差し止められない(揉めない)ようにする」ことにあります。しかし、この条文の有効性については、以前から気になっていました。人格権を行使しないなんて契約は有効なのか?
つい先日も、「著作者人格権の不行使」が争点となった裁判が報じられています。
世田谷区史の編纂めぐる著作者人格権問題が解決 研究者と区民らが区と確認書(週刊金曜日)
https://news.yahoo.co.jp/articles/40150a0549a8a4d77cc92c6a200d36daf99f5a5a
イラストレーター、ライター、プログラマーといったクリエイターから著作権を譲り受ける立場にあるウェブディレクターとしては、 著作権を譲渡された後も著作者人格権(とくに同一性保持権)の行使によって、潜在的なリスクを抱え続ける可能性があります。 このリスクを回避するために、この条文が入れられるわけです。
とはいえ、この一文がなくても、複製の許諾があった時点で、必要な範囲内で著作者の意に反さず、かつ名誉を害さない改変であれば、同一性保持権の行使は認められない――というのが、今回の判例の考え方です。
案件が終了した後に、著作者の一方的な判断で法的措置に発展する(揉める)可能性残るのは、現場としてはリスクのコントロールができません。そういう意味で、この判例には賛成です。
ただし、本誌の解説では、「黙示の同意」をもって著作者人格権の不行使を認めるのは、やや緩やかすぎるのではないかと指摘されています。このあたりは、実務(社会運営)と法律上の原則のどちらを重視するかという、微妙なバランスの上に成り立っているように感じます。
コメント