韓国旅行の2日目はメインイベント北朝鮮関連観光です(1日目はこちら→「韓国ソウルに行ってきました。」)。
本当は板門店や非武装地域に行きたかったのですが、当日は韓国の祝日でツアーはお休み。
(なお板門店ツアーは韓国籍では参加できません)
しかたなく休日も開催していた一般立ち入り区域内のツアーに参加しました。
韓国戦争半日ツアーの予約はAlan1.netで
ツアーと言っても参加者は我々夫婦をバンに乗せ、ガイドと運転手だけのドライブみたいなものです。
車はソウルを出て漢江(ハンガン)沿いを一路、国境に向かいます。
途中から川沿いには有刺鉄線が。所々には監視塔が。監視塔には機銃が。
道路の上をまたがって、コンクリートでできた大きな看板がありました。
有事の際は爆破して道路をふさぐんだそうです。
車で2時間弱走ると臨津江(イムジンガン)を渡って北朝鮮に向かう橋、「自由の橋 – Wikipedia」に到着です。
この向こうに自由の橋があるのですが、ここから先は立ち入り禁止区域。
(ガイドさんによれば、さらに数km先が板門店だとか)
南北統一を祈る無数の短冊の中に日本語で「横田めぐみさんを返してください」の文字もありました。
続けてツアーは北朝鮮を眺めることができる「烏頭山統一展望台 – Wikipedia」に向かいます。
展望台からは北朝鮮側を眺めることができます。
向こう岸は北朝鮮です。有料の望遠鏡を使えば建物も見えます。
小生は日本から双眼鏡を持参しました。
見えるのは「宣伝村」と呼ばれる北朝鮮が韓国にPRするために作った村。
そこには北朝鮮がいかに素晴らしいかを象徴する白い美しい建物が・・・と言いたいところですが、老朽化していたり、建築途中のものがあったりと、宣伝村でさえも困窮している様子が伺えます。
さらに山々が茶色く見えるのは地理的要因なのかと思いきや、燃料として木々を伐採しているためなんだとか。
デジカメでの最大望遠。
奥さんは人影も視認できたようです。
展望台の内部には北朝鮮の文化を知ることができる展示があります。
以上でツアーは終了。
昼食はガイドさんに地元の定食屋を案内してもらいました。
ここでもプルコギを頂く。
あー本場のプルコギは旨いよ。
ただ、川を隔てた向こう岸ではこのような肉類は一切口にできないかと思うと、民族断絶の悲しさが実感できるのでした。
半日での駆け足でしたが非常に意義深いツアーとなりました。
車はソウルに戻ってきてツアー終了。残り半日は市内観光を続けます。
世界遺産「昌徳宮 – Wikipedia」。
時間が決まっているガイドツアーに参加しないと入れません。
日本語ツアーの時間を確認しましょう。
他にも世界遺産である「宗廟 (ソウル特別市) – Wikipedia」も回りました。
街中に世界遺産があるということは戦争で焼け野原にならなかったんだな。
夜は再び明洞(ミョンドン)に。
奥さんのメインイベントである韓国化粧品や洋服のショッピングです。
繁華街のお店では普通に日本語が通じます。
Perfumeの新曲が流れている店もありました。
そして店員さんが日本語で話しかけてくる不思議。
韓国人と日本人をどうやって区別しているんだろうか・・・?
小生は実弾射撃をやってみました。
やっぱり日本語で丁寧に説明してくれるので安心です。
※写真は日本ではありません。
夕食は地元チェーン店でチゲ。
ビールは強炭酸でした。韓国ではビールはあまり飲まれないようです。
そしてホテルに戻る頃にはお金が10,000ウォンくらいになりました。
日本円にして1000円程度にしかならないのですが、なぜか心に余裕が。
桁違いで金銭感覚がおかしくなります。
最終日3日目。午前中は時間があったので「東大門市場 – Wikipedia」周辺に行きましたが、(当たり前ですが)市場は店がほとんど閉まってました。
屋台でトッポギ。
昼飯は冷麺の有名店へ。
韓国来て初めて食べられないくらい辛かった。
そして帰路。再び金浦空港へ。
帰りの便も羽田着なので身体的な負担が少なく楽々です。
なんせ帰国後、そのまま別の飲み会に参加したくらいです。
以上が初の韓国旅行でした。
海外旅行で異文化体験と言うよりも、近隣の面白い街に遊びに行くという感覚でした。
九州の人は東京に来るよりも近いから韓国に遊びに行くというのもわかります。
日本と韓国はこのような普段着での交流を進めるべきなんだな、と日本人女性がいっぱいの機内で感じた次第です。
最後に奥さんの戦利品↓。韓国コスメは信じがたい値段なんだとか。
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